写真館 セピア色の長町 第三展示室


 

街は生きています。時代が変わり、人々の生活様式が変わっていくにつれて街も変わります。
ここでは、そんな長町の変化を眺めてみましょう。
懐かしい風景に出会えるかもしれません。また、いにしえの長町に新鮮な驚きを覚えるかもしれません。

現在の写真はすべてwebmasterが撮影したものです。
全く同じアングルでは撮れませんでしたが、なるべく同じアングルに近づけたつもりですので参考までに当時と比較してみてください。



 写真館 セピア色の長町 展示内容ご案内 

第一展示室:長町一丁目、長町を走る市電、秋保電鉄長町駅、長町駅前
第二展示室:長町小学校、広瀬橋(1)、広瀬橋(2)、凍結した広瀬川
第三展示室:長町一丁目市電さよなら運転、長町自警団の記念撮影、広瀬橋の欄干



 長町一丁目市電さよなら運転 (昭和51(1976)年) 

  

 今は高層建築に変わりましたが、当時のまるしんスーパーやボーリング場、アイハラデパートなどが見えます。昭和51年3月、市電が50年の歴史に幕を閉じました。車体に「さようなら」の看板をつけてラストラン。   (提供:佐藤義雄さん)




 長町自警団の記念撮影 (昭和10(1935)年代) 

  

 郡山五丁目の諏訪神社の前で長町北町自警団が撮影した記念写真です。時代は昭和10年代と考えられます。まん中の宮司さんは諏訪神社の宮司だった故・二階堂武夫さんです。   (提供:佐藤義雄さん)




 広瀬橋の欄干(河原町側から長町方面を望む) (昭和13(1938)年) 

  

 広瀬側の欄干、自動車、紳士。昭和13年の写真。当時がしのばれる1枚です。奥には当時の長町の街並みが見えて、橋の袂に「こがねやき屋」(今のたい焼きのようなもの)の看板が見えます。当時の値段はこがねやきが1個1銭、煮あずきどんぶりが1杯5銭だったそうです。   (提供:佐藤義雄さん)




 金岡八幡宮 

  

 現在のザ・モールの敷地の西北の一角に今でも残されています。もともとは現在の長町4丁目・蛸薬師境内にある「舞台八幡」があったところです。東北特殊鋼ができたときに岩清水八幡宮を勧請し、金岡八幡宮として生まれ変わりました。ちなみにこの地域はもともと「長町八幡前」という地名だったそうです。   (東北特殊鋼30年史より)