★子育て★連載コラム

第63回 教育は誰のもの?
坂総合病院 渡辺 瑞香子
履修漏れ問題
教育基本法改革の決議の前に高校の「必修科目履修もれ」が発覚しました。始めは特定の学校の問題であるかのようでしたが、瞬く間に全国に広がりました。宮城県の高校も例外ではなかったようです。週休二日になったこともあり、すべての科目に十分な授業時間を費やすことが難しいのでしょう。大学受験を考えると試験に関係ない科目は省きたいという現場の意向が見えます。「建前と本音」という訳ですが、不正には違いなくて、発覚した以上は、お目こぼしというわけには行きません。つけは結局子どもが払わされますが、( 問題が大きくなりすぎて)「割引」履修で幕引きされそうです。抜け道があることも教えられ、皮肉をこめて言えば、これも一種の生きた「教育」ということになりましょうか。。
足立区のケース
先日、足立区独自の試みとして、「学力テストの成績に応じた予算配分」が報じられました。東京23区内で学力テストの成績が最下位であったために、考えられた政策です。基本的な予算は、生徒の人数により配分されるということですが、すでに区内で学校選択制も取り入れられているため、成績が良い学校に生徒数はシフトすることになります。予算が不均等になれば、人材も片寄ることになり、下位の学校はますます浮かばれないことでしょう。上位校に通うために、遠距離通学や転居も考えられ、お金や時間に余裕の無い家庭は、選択もできません。足立区は、就学援助家庭の比率が突出して高い地区と聞いています。成績がふるわない理由が、学校内の問題ではないことが想像されます。
公教育−義務教育とは?
安倍政権が目指す教育政策は、イギリスのサッチャー政権時代に制定された教育改革法をモデルにしているようです。しかし、良いお手本とは言えず、子どもの心は荒れ、低所得層の偏在で公立の教育に格差が出たと言われています。足立区の試みは、現政権が目指す教育政策の先取りとして、注目されていました。結局、抗議が殺到して、成績別の配分ではなく、成績の伸び率に応じて配分する方式に変更になりました。教育の場に利益誘導を持ち込む発想には嫌悪感を覚えます。公教育―少なくとも義務教育の範囲で必要なのは、学力の「標準化」であって、エリートの養成ではないと信じています。
教育現場に持ち込まれた格差
評判の悪かった「ゆとり教育」ですが、その理念自体は間違いではないと思います。問題は授業時間を減らしたために、「よみ・かき・そろばん」が手薄になったことでしょう。「総合的な学習」とは、学習の基礎ができていて初めて生きるものです。ひらめきや創造性は遊びや日常生活の中から子どもたちが見つけるものであって、教育する側がお膳立てすることではありません。カリキュラムがどのように変わろうと、難関大学入試のハードルは下がりませんでした。学校教育に不安があれば、教育産業は当然うるおい、子どもの教育に経済格差が持ち込まれたのは以前懸念した通りです。今度の改革はさらに格差を広げるでしょう。それでもなお今の国会で強行突破するつもりのようです。「階層差」を乗り越えるのは容易ではなく、希望を絶たれた若者であふれる国は衰退するだけでしょう。
