★子育て★連載コラム

第62回 ひとすじの道

                                                坂総合病院 渡辺 瑞香子

 

 父の顔色

 小学生の頃、テストを返された日は、家への足取りが重くなりました。父が来ているかも知れないと思うと。父の顔色をうかがいながら、そっと答案用紙を広げます。95点以上でなければ、機嫌が悪くなるのがわかりました。90点未満だったら、手が飛んできました。夜、はだしで外に飛び出した日もありましたね。子ども心に思っていました。この人は、成績が良くなければ、私に興味が無いのだと。勉強が好きなわけではなかったけれど、ある程度のことはしなければなりませんでした。さもないと、父親として家族への責任を果たす(経済的に)ことさえ、期待できなかったからです。


 勉強しかない

 読書が好きで、おねだりするのは本。おしゃれや化粧に気をとられるのは厳禁。勉強はできなければならない。理想の娘像を演じ続ける息苦しさ。父が学歴至上主義だったのは、彼の挫折の人生を思えば仕方のないことですが。そして、繰り返し言われたのは、離婚家庭の子どもだというだけで、人生の選択肢は限られるということ。就職でも結婚でも、偏見という見えない壁があるという意味です。21世紀になった今でも、おそらく無くなってはいないでしょう。公務員か教職、可能性があるのなら専門職。貧しさと惨めさから脱出するには勉強するしかないことをいつしか理解していました。


 大学受験

 私の大学受験の条件は、東大文化T類か国立大の医学部合格。一浪までは認めると言われも、経済的に無理であることは百も承知でした。法廷に立つ姿をイメージできなくて、選んだのは医学部。国立大の入試がまだ一期校と二期校に分かれていた時代のことです。チャンスは2回。あの頃の自分の気持ちを表現すれば、細い塀の上をやっとバランスをとって歩いていたようなものでした。塀の外か内のどちらに落ちるかで天国と地獄。もし受験に失敗していたら?さあ、どうでしょう。自殺していたかな。大げさだけれど、合格した時の喜びは、この世にあり続けることを許された、そんな気持ちだったように思います。


 教育に持ち込まれた経済格差

 大学に入るまでは、かすかな光をめざして、暗い洞窟を歩いていたようなものでした。過酷な話に聞こえるでしょうけれど、他の生き方があったとは今でも思えないのです。光の中に出た後は、学費の免除やいろいろな奨学金の制度があって、可能性も広がりました。私は塾や予備校には行っていません。教科書、参考書、通信添削を頼りに勉強をしてきただけです。私のような境遇から医師になる人は、これからはあまり多くないかもしれません。教育に経済格差が持ち込まれたからです。可能性が狭められたら、若者の未来を見つめる目も曇るでしょう。この国から活気が失われるのは遠い先のことではありません。