★子育て★連載コラム

第57回 お別れの時

                                                坂総合病院 渡辺 瑞香子

 

 覚悟はできていたが

 年明け早々に夫の父が亡くなりました。肺炎を繰り返しており、ある程度覚悟はしていたのですが、子どもたちはすぐには受け入れかねているようでした。昨年の春はまだ車椅子に乗っても元気でしたが、自分の足で歩けなくなり、自分の力で食べられなくなると、人は衰えていくのだということを理解してくれたでしょうか。同居はしていなかったけれど、「優しいおじいちゃん」として子どもたちの心に刻み込まれていたと思います。特に長男は、初孫でもあり、かわいがられていましたから。元気なうちに大学合格の報告をしたいとひそかに思っていたようでしたが、「早かったね」とポツリ。高校入試の前は毎日神社にお参りしてくれました。今回は受験のこともわからなかったかも知れません。


 親が教えたわけでもなく

 入試や学校の予定をくぐりぬけて、子どもたちを3人とも通夜、火葬、告別式と立ち合わせることができました。ふてくされやしないかと心配した次男は、お骨を骨壷に丁寧に拾い集めてくれました。遺体の顔に「小さくなった…」と亡くなる直前に会えなかった娘はホロッとしていました。納骨の時にお骨を抱いた長男は「思ったより軽い」としんみり。特別な日に、いつの間にか成長した子どもたちの姿を見ることができました。親が教えたわけではありません。さりげない毎日は無駄に過ごされているわけではなかったということなのでしょう。祖父母も喜んでくれたでしょうか。


 肉親の死

 私自身が、初めて肉親の死を経験したのは、やはり祖父の時でした。小学校6年の冬だったと記憶しています。何度か脳梗塞になっていて、寝たきりにだったように思います。お骨を拾う時に、具合の悪かったところは、黒くなったり、もろくなったりするのだと誰かが教えてくれました。深い雪の中を歩いて墓地まで行った記憶が鮮明です。子どもには葬儀の雰囲気は重苦しくて、お坊さんのお経がちゃんと意味のある言葉だとは思えませんでした。「精進あげ」という場で、にぎやかに騒いだり、酔っ払ったりすることが不思議でした。故人を悼むという意味がありますが、親族や友人が一同に会して互いを懐かしむ場でもあることを、似たような疑問を持った次男に伝えることができてよかったと思います。


 暖かな見送り

 私が子どもの頃はまだ自宅で看取ることの方が普通でした。医療が進んだ今、病院で医療機器に囲まれ、栄養チューブなどがつけられて、「死」が遠い感覚になったかも知れません。医療に携わっていると、死の時が近づくにつれ、その方の生き様が見えてくるような気がします。あまり勝手な生き方をした人の死は孤独です。義父は穏やかに暮らし、仕事の関係の方と親戚の方に囲まれて、派手では無いけれど暖かな告別の式になりました。何よりも5人の孫全員に見守られて、きっと天国でにこしているのではないかと思います。孫たちが良き人生を歩めるように、どうか守ってやってください。