★子育て★連載コラム

第53回 未来にかける橋

                                                坂総合病院 渡辺 瑞香子

 

 ネアンデルタール人とクロマニヨン人

 現代人の直接の祖先はクロマニヨン人です。ネアンデルタール人も同じ程度の大きさの脳を持ち、死者に花を手向ける風習を持つほど進化していました。それにもかかわらず、なぜ滅びたのかは、謎でした。最近、それを説明できる学説が唱えられています。ネアンデルタール人とクロマニヨン人との頭蓋骨を調べると、のどの形が違っているのだそうです。そのため、ネアンデルタール人はうまく発音できる音が少なく、複雑な会話ができなかったと考えられます。クロマニヨン人は、言葉により大量の情報を共有できるようになりました。さらに、3万年ほど前に、寿命が格段に長くなって、祖父母の世代がともに暮らし、「年寄りの知恵」が生かせるようになり、同じ間違いを繰り返すことが少なくなったことが想像されます。その結果として後者だけが繁栄したと考えられるそうです。


 大さじですか?小さじですか?

 さて、話は現代に戻ります。小児科医として働いて、十年ほど前から時々違和感を覚えるようになりました。今でもはっきり覚えているのですが、赤ちゃんの離乳食の進め方で「一さじずつ増やす」という説明書きに「大さじですか?小さじですか?」と質問されて、あぜん。説明するまでもなく、赤ちゃんの口に食べ物を運ぶ「さじ」のことなのですが、食事を計量するための「さじ」と解釈されたわけです。どうも、そのお母さんの個人の問題ではないようでした。共通だと思っていた前提がくつがえったわけで、指導するのにもひとつずつ確かめる必要を感じて、気が遠くなるような思いでした。


 ご飯の味

 以前は、健診の時などに相談されるお母さんの悩みは、育児書に振り回されてしまい、その通りに行かないことへのあせりであることが多かったように思います。最近は、どちらかというと、予備知識なしのその場しのぎの子育てに、私たちの方が戸惑う方が多いかも知れません。しかも、それを支えるはずの祖父母の世代が、適切なアドバイスをしているとは言いにくくなっています。たとえば食べ物に関することです。子どもが喜ぶかどうかを基準に、体調も月齢も考えずに食べさせてしまいます。病気の時は「好きなものを食べさせると治る」なんて、食べ物が十分なかった頃の迷信です。入院してもお粥を食べられない子が多くなっています。お粥くらいとお思いでしょうが、普段から十分咀嚼していないこととご飯の味がわかっていないことの裏返しで、結構深刻なのです。


 多様な情報の弊害

 知識や経験がうまく伝わっていないのはなぜなのでしょう。職場で話題になるのは、戦中・戦後の混乱期を経て、伝統や文化が壊れたのだという説です。しかも、それに代わる確かなものを示せなかったのだと。やむを得ないことですが、高度経済成長の時期を経て、効率が重視されてきました。結果として家事や育児は置き去りにされたように思います。さらに多様な情報を処理しきれなくなって、何が大事なのかがあいまいになってしまったような気がします。人類を発展させてきたのが言葉による情報の共有(文化とも言えるか)ならば、日本は衰退するのでしょうか?考えすぎですよね。