小児の救急医療に関わっていると、脳死の問題は避けて通ることができません。
私の勤務している病院では、脳死を人の死としない立場に立っています。
日本人の死生観ということもありますが、たとえ人工呼吸器の力を借りていても、心臓の鼓動が打っている体というのは、暖かくて今にも動き出しそうで、家族にとって死を受け入れがたいことは実感としてわかります。
まして、脳死に至る過程は事故か突然の病気であり、運ばれた病院も見知らぬ場所であることが多いわけで、そこで脳死の判定や臓器移植の話が切り出されたら、家族は混乱するばかりでしょう。
「子どもの脳死・移植」という本を最近読みました。
著者の杉本健郎先生は、小児神経科医です。
ご長男を6歳の時に交通事故のために亡くされました。
お子さんが脳死に至った時に、それを受け入れ、移植を決意されるまでの経過と心の葛藤を親として、専門家として丁寧に綴っておられます。
我が子が、どこかで生き続けて欲しいという思いで移植を決意したことを親のエゴかと悩み、臓器提供を受けた方の家族から匿名の手紙に癒されたそうです。
臓器提供の場面がTV放映される時、ただの「モノ」のようにクーラーボックスを片手で提げている様子に、ドナー家族は傷つくのだと書かれています。
日本では、脳死を人の死として治療を打ち切ってもいいのは、移植が前提の場合だけです。
移植を成功させるためには、脳死判定後できるだけ速やかに手続きを進めなくてはなりません。
家族が死を受け入れるための十分な時間もとれず、その後の心のケアも貧弱です。
小児科学会で問題になったのは、小児の脳死判定、子どもの自己決定権、虐待の鑑別などでした。
1999年6月から2004年2月までに脳死になった15歳未満の子どもの1割以上が虐待またはその疑いであったことが報告されたのです。
そうまでして行われる移植はまだ夢の医療とは言えません。
移植後、拒絶反応との戦いが待っています。
特に心臓の場合かなりの免疫抑制剤が必要で、生活も制限されるようです。
移植を必要とする方々の声を理解しつつも、私も積極的にはなれません。
この行き詰まり感を取り払うのは、あるいは移植を受けて新たな人生を送っている方やその家族の声であるような気がしています。