子供のスポーツ環境
坂総合病院 渡辺 瑞香子
いよいよワールドカップ開幕
いよいよワールドカップが開幕しました。連日、見事なプレーの連続で、テレビにくぎ付けです。レベルの高いサッカーの試合は美しい芸術作品だと思います。ゴールシーンはもちろんですが、目まぐるしく変わるプレーの流れに魅せられてしまいます。人間の能力の素晴らしさに改めて感動させられます。日本チームの勝敗はもちろん重要なことですが、4年に一度の祭典です、ゴールデンタイムにライブで見られることは当分(二度と?)、ないでしょうから、たんのうしなければもったいないですよね。しばらく寝不足です。
親の協力も必要
サッカーと言えば、長男も2年ばかりスポーツ少年団に加入していたことがあります。Jリーグが始まって、「サッカー選手」が男の子の夢の一つに踊り出た頃です。本人の強い希望に負けて入れたものの、仕事しながらサポートするのは厳しいことが分かりました。練習の当番はまだしも、休日は試合があります。親が交替で、会場に子供達を送るようになっていました。親の側でそれに付き合えないと、子供も肩身が狭いものなのです。父親の協力も得られないことには無理でした。「きついから」とやめた長男でしたが、かなり後になって、私に気を使ったためであることを知りました。
個人の善意に依存する体質
当時、サッカー人気が高まっていて、その少年団の人数も70人くらいに増えていたと記憶しています。もっとも、まず練習の場所を確保しなければならず、数ヶ所を利用していました。指導者もわずかな謝礼で、仕事の休みの日に教えていただいているわけで、ボランティアなのです。指導者の講習会などがあったとしても参加することも難しいですよね。野球やバスケットなども同様の状態に置かれていると思います。個人の「善意」に依存した構造は今も変わってはいないでしょう。将来を担う選手を育てる土台は、かなり危ういものではないでしょうか。
人間性を培えるスポーツ
この春から長男は弓道部、長女はソフトボール部で汗を流しています。毎日疲れて帰ってきますが、楽しそうで安心しています。何しろ医療現場で見るこの国のスポーツの現状は、相変わらずの精神論に終始しているとしか思えません。疲労骨折がありながら、休むことを許されない新体操の選手。足首の骨折で3ヶ月はかかるのに、その子が大会に出られるかを医師に詰め寄る柔道のコーチ。例えばアメリカでのリトルリーグのあり方は、オグ・マンディーノ著「十二番目の天使」に見ることができます。野球を通じて、人間教育をする場と捉えられているようです。ヨーロッパではサッカーがそうであるようです。少なくとも15歳までは、勝敗だけにこだわることはありません。社会生活を営む上で必要な人間性が、自然のうちに培える機会や場所としてのスポーツであることを願います。