命の重さ
長町病院小児科 渡辺 瑞香子
命の重みは全て平等
何とも嫌な事件でした。東村山市のホームレス暴行死事件です。彼らはその時ゲームの世界に生きていたのでしょうか。腕力でかなわないとなると仲間を集めて「謝らせる」ために襲った彼ら。まるでグレードアップして敵キャラを攻略するような感覚です。圧倒的な暴力にもかかわらず、「死ぬとは思わなかった」そうです。図書館で騒いだ自分達の問題は棚に上げて、自分より「立場が下」の人間にしかられたことが自尊心を傷つけたということでしょうか。命の重みは全て平等と心から思っている人は恐らく少ないでしょう。そういう大人の価値観の上に立って子どもたちも生きているということです。
罪の重さと保身の言葉
警察に出頭した時に「許してください」と言ったという彼ら。この言葉には人の命を奪ったことへの心の痛みはあまり感じられません。どちらかと言えば保身のための言葉なのです。少年たちは謝罪の言葉の一方で「他の5人と比べたらそれほどやっていない」「軽く2、3発しか殴っていない」などと供述したそうです。彼らはしかし、どこにでもいそうな子どもたちなのです。昨年4月に施行された「改正」少年法は刑事処分の対象年齢を16歳以上から14歳以上に引き下げるなどの「厳罰化」の方向に向かいました。少年事件にはいろいろな背景があり、少年だけに全ての責任を押し付けることには反対の立場ですが、今回は彼らに是はないでしょう。罪をきちんと償わせなければなりません。
答えの見えにくい問題
なぜ殺してはいけないか?そう聞かれたらどう答えますか。ある討論会で、そう問うた少年がいて、大人は「そんなことは聞くようなことでない」と怒ったらしいけれど。実はこの問いを正面きって突きつけられると答えにくいのです。「戦争」と「死刑」の存在は、「大義名分」がありさえすれば人を殺すことを肯定してしまうからです。宗教さえも、歴史の中で、殺人を犯してきました。私には「君の家族や友人や恋人がもしも理不尽に命を落としたら、君は悲しみ、憤るでしょう。君が殺したいと思う相手にもそういう人たちがいることを忘れないで。」と答えることしか思い浮かびません。人を殺してはいけないと思う気持ちは、実は教育やしつけの積み重ねの結果生まれてくるものだと思います。
自分を大切に、周りの人を大切に
「少年院の教育は、子供たちに罪の意識を持たせること、責任が自分にあることを分からせることから始まる」と教官たちは言います。多くの少年たちが、少年院の生活を経て変わり、退院間際には、穏やかな顔になるそうです。小児科医の立場から言えば、幼い頃から、病気やけがの時はからだをいたわることを繰り返し教えることが、大切だと思います。自分を大切にすること、周りの人を大切にすること―根っこは同じです。そして社会には目に見えない枠組みがあって、それを理解していないと自分や他の誰かを危険にさらすかもしれません。しつけというのは実はそれを子どもに教えることではないでしょうか。